広島旅行

前日の夜行バスで尾道へ。札幌に行くのはほぼ決定で、後はいつからかという感じになってきたので。西日本にはほとんど行ったことがないので楽しみにしてました。

夜行バスは、予約なしでも安く乗れるので直前まで決まらない僕ら夫婦にはうってつけの乗り物だ。新宿〜尾道間のバスはがらがらで、11時前には消灯だった。トイレは備え付けがあるのでサービスエリアで休憩とかもなし。シートはへたっていて真ん中が窪み、そのせいで肩がこってしまった。

途中の福山でおりる人がいなかったためバスはバイパスを通ったそうで、かなり早い時間に尾道に到着してしまった。早朝の尾道は、なんだか少し霞がかっており、とても肌寒く感じられた。

午前中から町歩き。

向島に造船所がある感じが、中瀬に造船所があった石巻を思い出させる。というほど覚えているわけではないが。海と川との違いもあり、昔の栄華にはもっと差があったものと思われる。ぷらぷら歩いていると、とにかくのんびりしていい。

お昼ご飯は、朱華園にいってみた。開店直後にも関わらず、既に並んでいた。値段は安いが、味はいうほどでもなかった。何かちょっとインスタントっぽい感じがあった。

お昼ご飯を食べたら、妻が行きたがっていた大崎下島へ。三原まで電車で出て、そこから高速船に乗った。

大崎下島は、とても静かな田舎の島だった。御手洗地区は歴史的な建物が多く保存されている地区なのだが、それぞれの玄関にはすだれがかかり、花が飾ってあった。とても感じの良い町並みだった。人なんか全然いない。尾道ののんびりさの比ではない。

三軒長屋を眺めていると、おじいさんに話しかけられて、中に招き入れられた。

彼は昔は船大工だった宮本さんという方で、ググると確かに出てくるが、ちょっと有名な人らしい。御手洗の昔の華やかだった頃について語ってくれた。御手洗の辺りは海路が狭く、潮に逆らって船を進めるのは容易ではないらしい。それで、御手洗は潮待ち、風待ちの港として栄えたのだそうだ。待っている船が少し沖にいると、そこへ向かって遊女を乗せたおちょろ船というのがたくさん出ていったのだそうだ。御手洗はいわゆる花街だったらしい。若胡子屋という茶屋には、全盛期には100人もの遊女がいて、ちょうど話をしていた夕方の時分には、支度をすませた遊女たちでそれは華やかだった、と教えてくれた。若胡子屋は跡地として、観光できるようになっている。宮本さんは、船大工の技術をいかして、いまはおちょろ船の小さな模型をつくっているそうで、旅館の玄関などに飾るものなのだそうだ。

その他、東京に出ていった息子の話や、島には嫁が来ないこと、いろんな話をしてくれた上に、最後はみかんをくれた。大崎下島のみかん、大長みかんはブランドもので、ちょっと時期的には早いものだそうだが、とてもおいしかった。

その後、ノスタルジックな思いに耽りながら、大長地区を巡り、高速船で広島まででて、予約してあったホテルに泊まった。